否定の拒否と責任転嫁。自己責任論を述べる人から責任転嫁臭がするんだが

どうもうめだ(@umedayukari)です。

昔、友人の依存が激しくついにたまりかねて「人の嫌がる事はしないでほしい」みたいなことを言ったことがある。

そしたら…

「わたしがする事を嫌がるうめだがわたしにとったら嫌やねんけどそれはいいの?」みたいに返された。

嫌なことをされてそれをやめてと言ったら、やめてと言われる事が嫌だからやめてと返されたという事なんですが…

これってわたしが悪いの??

「母のせいで…」というと「それを受け入れたあなたの責任」と正論を返す人

わたしは幼稚園児の頃から気づいたら習字を習っていた。

母が自分の字が汚いのがコンプレックスで子どもにはそんな苦労をさせたくないという理由で「絵か音楽を習いたい」という子供の気持ちをガン無視し習字教室に申し込みをしたからだ。

結局小6まで通ったが一切字は上手くならず、才能の無さと経費の無駄をプレゼンし、習字教室を辞めることができたのを今でも覚えている。

自分の無能さをプレゼンするなんて、自己肯定感さげさげイベントすぎるw

そして母の心配をよそに、わたしは字が汚くて困ってはいないしコンプレックスにも思ってない。

習字業界の月刊誌みたいなやつの4コマに応募したら載って嬉しかったことは今でもいい思い出だ。

記憶の一番古い時からすでにもう母の思う通りにさせられていた事にたいしても「それを受け入れたあなたの責任」と言える人は

とても幸せな人生を送ってきたんだと思う。

でもごめん、正論を押し付けて来る人って結局自分の中に何か不満があって、

そのモヤモヤを解消するために人を正論で殴ってるようにしか見えなくてね…。

わたしもやってしまってる事あるかもしれんけど最近はすごく気をつけています。

個人に言うのではなく、「わたしはこういう考えです」って発表するのはいいと思う。

あなたのためを思って

人をコントロールする時によく使われる言葉「あなたのためを思って」

うそつけ!って思いますね。

わたしは絵を描きたい、習いたい。

でも「あなたの為を思ってそこに労力を注ぐのはやめろと言っている」と言う。

わたしの為を思ってるならやりたい事を応援してくれるはず。

結局は将来職に就けず露頭に迷うであろうという全くわたしを信用していない前提があって(この時点でかなり失礼)

将来困るからやめとけって止めてるだけだよね。

言葉ではなく行動を見ろ

以前「あ、わたしこの人に全く信用されてなかったんだな」って事があって、それからはもうわたしは何も言う気が無くなった。

「言葉ではなく行動を見ろ」って以前読んだ本が教えてくれた。

その人は言葉と行動が逆だった。

こういうのに気づけるようになってちょっと成長できたなと嬉しく思った。

誰のせい?

今現在絵が描けないのはわたしの責任だけど、わたしが親と一緒に過ごした期間、絵に情熱を一心に注げなかったのはやっぱり否定と反対を何十年も続けてきた母のせいだと思っている。

それを責任転嫁という人がいるなら、その人はわたしの事なんてほっといて全ての事を自分の責任として自分の人生を歩めばいいと思う。

わたしが間違っている事もたくさんあるのはわかってるけど

人の生き方にいちいち口出ししてないで、そう思うなら自分の人生でそうすればいいのではないかと思う。

絵を描くなというなら自分が描かなければそれでいいと思うし

正社員で働くべきって思うなら自分が正社員で働けばいい

少ない給料が不満なら自分は高給取りを目指せばいいし

鳥がうるさいなら自分は飼わなければいい

ワンルームにルンバなんてもったいないと思うなら自分は買わなければいい

人のせいにしてみっともないと思うなら自分は他人の言われた事なんて気にしなければいい

なぜそれを人にまで押し付けるのか。

人それぞれ、その時の状況や心持ち、色々事情があるんじゃないの。

そしてわたしのこういう意見を最初に書いた友達みたいに「否定する人の事を否定してる」とか言われても困るのですよ。

そこで「わたしの考え方や提案を受け入れないあなたが悪い」って言うのはそれこそ責任転嫁ではないのかなと思います。

パクチー美味しいよ!ってお勧めしたものの「いやパクチー苦手やねん」って言われたら「そうなんやー」で終わったらええやん。

チョコミントとか食べてるだけで勧めてもないのに勝手に「わたしむりー」って言われまくるけどね!告ってないのにフラれたみたいになるよいつも。