ども。うめだ(@umedayukari)です。
わたしは小学3年くらいから34歳くらいまで左足に痛みを抱えて生きてきました。
膝を伸ばした状態だと左足首が動かなかったのです。
膝を曲げると自由自在に動いたんですけどね。ずっとびっこ引いていました。
体育をサボる子と思われていた
わたしが子供の頃の事を覚えているのは体育の時間に立っているのが辛くて途中でしゃがんだりしていたことです。
大げさに痛がる、わざとらしいと嫌われていた
ある体育の授業はドッヂボールでした。
わたしは運動神経がニブイのですぐ標的にされていました。
そして左足のふくらはぎにボールが当たったのです。
激痛が走り、立っていられなくなり、しゃがみこみ痛みに耐えました。
しかし周りの反応は「大げさ~わざとらし~感じ悪い」というものでした。
マラソンも普通に参加していた
足が痛いというのは仮病みたいな感じで扱われていて、痛いというとサボりの理由と思われていたように感じていました。
だからサボっていると思われたくなくて体育もマラソン大会も普通に参加していました。
痛みさえガマンしていれば動けるので、ガマンして参加していました。
運動の後は家に帰ると足が伸ばせなくなるほどの痛みに耐えていました。
中学の時
中学時代は男子とはほぼ口を聞いてません。
マラソン大会では激痛に耐え走りぬきゴールの瞬間は「きっしょ~」「見たないねん」というヤジが飛んできました。
高校は先生からもおかしな対応をされた
手術もして靴も金具が付いた治療器具的な靴をはいていたにもかかわらず、体育を休ませてもらえませんでした。
マラソンはさすがにもうムリだと思ったので先生に言うと「マラソンは見学でもいいけど、立って見学するように」と言われました。
足が痛くて見学するのに立って見学ってどういうことでしょうね?
今なら反論もするでしょうが、痛みに耐えるのが当たり前だと刷り込まれていたので、普通に痛みに耐えて立って見学していました。
そしたら友人が「それはおかしいやろ!」と授業が終わったあと、職員室まで乗り込んで抗議してくれました。
ありがとう…あの時に初めて「痛みをがまんしなくてもいいのかも?」と思ったのかもしれません。
それまで、痛いと言っても悪く言われるだけだったから。
手術で夏休みが消える
当時の病院の診断は「筋萎縮症」でした。アキレス腱が短いから左足首が曲がらないという理由でしたが、わたしは膝の裏あたりが痛いと訴えても「アキレス腱は膝から筋肉でつながってるから」と言われ、子どものわたしの言う事は取り合ってもらえませんでした。
そしてアキレス腱を伸ばす手術を成長に合わせ3回しました。
1回目は小学6年
2回目は中学3年
3回目は高校3年
それぞれ夏休みを利用して手術しましたが痛みが消えることはありませんでした。
当時同じ場所は3回までしか切れないと聞いていたので、高校を卒業してからもずっと痛みに耐えていました。
大人の世界は子どもの世界よりはマシ
大人になってからは「痛い」とは言わなかったけど、何かを欠席したりする事でとやかく言われる事がなくなったし、運動会も強制参加じゃないし、マラソンも出たい人だけが走るし、人に「足が痛いから」と言う場面も少なくなりました。
スシローのみんなの優しさに感謝
いきなりなんでスシローなん(笑)って感じですが本当に感謝しているので名前出しておきます。
足が悪いのに雇ってくれた
当時20代後半だったわたし。
色々あり、ちょっと人生諦めてた時期があったんだけど、これではイカン!と思いまずはアルバイトから…と応募したのがスシローでした。
面接の時点で、足が悪いことを話しました。
結果採用だったんですが(スシローはよっぽどマッチングしなかった時以外は採用だとは思います)
まず感動したのが、わたしに与えられたポジションでした。
動きまわらなくていいマイク担当
当時のスシローは、まだタッチパネルが無くインターホンで注文を聞いていました。
わたしはその注文を聞く担当でした。(通称マイク担当)
マイクの担当が足りてなかったのもあったんですが、ちょうどいい配役だと決定しました。
さらに、感動したのはここからです。
足を伸ばしていると痛いので左足だけイスに置いて仕事をさせてもらっていた
スシローのキッチンはだいたい人が3人すれ違える分くらいの幅です。
冷蔵庫の上が台になっていて、そこでお寿司を作り、レーンに流します。
通路の両側に人が立って作業しているので、レーンに流しに行く人が歩く1人分のスペースしか残っていません。
それなのに…!立っていると足が痛いのはツライでしょうと、片足をイスに乗せて仕事をさせてもらっていたのです!
これ、他の人からしたらめっちゃ邪魔です。でも誰からも文句言われた事ありませんでした。
マイクの仕事は出来ていたみたいなので、まあ仕事はちゃんとやってるし~という感じでしょうか。
今までそんなに足のことで優しくしてもらったことがなかったので、本当に感謝しています。
30代の時に運命の出会いが訪れる
ずっと痛みに耐えながら生きていました。
たまに大阪などへ行く時に電車に乗るとパッと見は健常者なので席はもちろん譲ってもらえなかったし、優先座席に座っているとどけと言われました。
そんな毎日を送る中、ぎっくり腰になりました。
整形外科を勧められる
あまり動けないけどマイクなのでなんとかスシローの仕事は休まずに行けましたが、どんどん酷くなるぎっくり腰。
帰り際にオッチャンに「ここの病院ええで」と、とある整形外科を紹介してもらいました。この整形外科の先生との出会いがなければ今でも痛みに耐えているかもしれませんでした。
まさに運命の出会い!
早速その整形外科へ行ってみると…
足の事は言ってなかったけど、びっこを引いていたのでわかったのでしょう。
これまた別の大学病院を紹介してくれました。
え、同じとこの手術は3回までって都市伝説やったん!?
足が治るかもしれない!希望の光りが見えた瞬間です。
ありがとうスシロー
手術をすることになり、入院やその後のリハビリなどもあるので一旦スシローを辞めることになりました。
「足が治ったら必ず戻ってくるから!!」そう約束して。
大学病院で手術
紹介してもらった大学病院でレントゲンをとり、検査をして、やはりアキレス腱を伸ばす手術をすることになりました。
わたしは別の原因があるのでは…と主張したのですが先生にうまく伝わらず…今思うと「筋萎縮症」という病名が付いてしまっていたから、もうその病気だと思い込みで診察されてたのだなぁと。
何も言わずまっさら状態で検査してもらえばよかった。
手術直後からもう痛いw
結局、手術しても痛みは取れず、また同じ手術をするというので別の病院を探すことにしました。
三重病院&三重大学病院
筋肉の専門の先生が三重病院にいるということで診察してもらいました。
そこで初めてMRIを撮りました。
そして明らかになる衝撃の事実
わたしが子どものころにはまだMRIが無かったので見つけられなかったのでしょう。
左膝の裏に大きな血管腫が発見されたのです!
もう、痛みの原因はコレ!!血管腫とは名前の通り血管にできる腫瘍のことです。普通は表面にできることが多く、皮膚が赤くアザのように見えるので発見も容易なんだそうな。
わたしの血管腫はちょこっとレアなヒキコモリタイプだったので最初の大学病院では発見できなかったのです。
小学生の時から放置されていたので、周りの筋肉とも癒着してしまっていて大きさにして握りこぶしくらいまで成長していました。
腫瘍の摘出手術は三重大学の先生にお願いすることになりました。
癒着がひどく腫瘍と筋肉の境目がわからなかったので筋肉ごと腫瘍を取り除くことになりました。
治ったーーー\(^o^)/
術後、麻酔が切れてきて段々傷口の痛みがわかるようになってくるんですが、わたしはひっそりと大喜びしていました。
だって膝裏とふくらはぎが痛くない!!
傷口の痛みなんて膝裏の痛みと比べたら屁ですよ!屁!!
数十年ずっと痛かった部分に痛みが無いってどんな気分か!?
どう例えたらいいのかわからないけど、爽快で素敵でキラキラしてて肩の荷が降りて…うーん、とにかく軽やかになりました!体も気持ちも!
一生付き合っていく痛みだと思ってたから。まさかその痛みから開放されるなんて思ってなかったから。
スシローのオッチャンがあの整形外科を勧めてくれていなかったら、今だに3回以上は手術できないと思って諦めていたでしょうね。
本当に感謝しています。
リハビリを終えてデスクワーク職などを点々とした後、スシローに復帰しました。
5年くらいブランクあったけど、いきなりマイクに放り込まれたのはいい思い出(笑)
整形外科を紹介してくれたオッチャンにも再会できてお礼も言えました。
スシローはわたしの人生を大きく変えてくれたなー!
足の事をちゃんと考えてくれた店長、優しくしてくれたスタッフのみんな、ありがとう!!